番茶とエスプレッソ

最近、番茶とエスプレッソを良く飲むのです。

東京の下町で産まれ育ったアタシですが、家では親父も、爺さんも番茶だったせいで

番茶好き。

コーヒーも若い頃のラテンヨーロッパ旅行中に毎日飲んでるうちに好きになりました。

 

どっちも、お茶マニアとかコーヒー通みたいな特段こだわりみたいなものが、無く、

雑な感じが好きです。お湯の温度とか、豆の産地とか知ったこっちゃ無い。

雑だけど、日常に必ずある感じ。

 

パリの人はよく、その文化性とか都の歴史の深さ、意地悪な感じが京都人と比較されますが、

なあに、日常の飲み物の雑な感じはむしろ江戸っ子っぽく無いですか?

現代的都会人というか、合理的というか。

そして、最近思うのですが、

京都人は意地悪なんじゃじゃ無くて、

パリの人達も同じ、結構親切だったりします。

いちいち言葉にしない、っていう大人な文化を持った人達だろうと。

 

江戸っ子なんて子供っぽくて雑なもんです、

言葉のきき方、言ってくれなきゃわかんねえじゃねえか!的な。

とにかくスピード、京都人より現代的です、雅のカケラもの無い。

そして、粋だの野暮だのいちいち決め事をつくっては言葉に出す。

本性として粋な人は沢山いたんだろうし、

そんな東京的な生活が好きでなんですけど、結局。

 

実はアタシ、谷崎潤一郎の小学校の後輩なんです。密やかな自慢。

谷崎潤一郎池波正太郎、時代は違えど生粋の江戸っ子の

お二人が晩年は京都に執心します。池波正太郎さんはパリも大好き。

なんかわかるような気がします。

最近同世代の下町出身者とよく話題になるのが、下町の老人達の話。

(同世代の人達は、何故か今はアタシも含めて下町に住んで無い。嫌いな訳では無いのですよ、

皆さん下町が)

 

江戸っ子の下町の老人達のメンドくさい感じは、

あれは、耄碌して本性としての江戸っ子を脇へ置いちゃって、

属性としての江戸っ子に執着してしまってるんだとおもう。

 

大井町あたりが、みんなにとって居心地が良いのは、

そんな野暮な事にみんな頓着してないからだろうなんて思います。

 

番茶の話から変な方向に話が進んでしまいましたね。